午睡の風

城の敷地内の奥、書院造の小十郎の部屋の庭先に、一つの影が落ちたのは真昼の頃合だった。
「右目の旦那、お疲れかい?」
庭に面した座敷の文机の上は一仕事終えたとばかりに、硯の上に筆が無造作に斜めに置かれている。
どちらかといえば、几帳面な気質と言える部屋の主の常を思えば、蓋を取り散らかした文箱や、乱雑に置かれた紙類は酷くそぐわなく、部屋はやや荒れている感じを漂わせていた。
崩した長い足を畳の上に無造作に投げ出し、疲れた眼を癒す為に、眉間の間を軽く揉んでいた小十郎は、庭先に佇む軽い声の元へと眼を向ける。
「ああ、疲れたな。今日は昼間からこっちでいいのか?猿飛―」
私事で己の元へと訪れる場合は、仕事に差し障りの無い夜を選んで忍んでくる律儀な人物に対して、小十郎はからかいを混ぜた問いを向ける。
軽く肩を竦めると、金属の半首が囲う顔が笑みを描き、縁側へと腰を落ち着かせ
「お疲れの右目の旦那を少し甘やかそうかと。ここ数日降っていた雨で、かなり被害が出たんじゃないかと、真田の旦那も奥州の事情を心配していた」
手に嵌めている鉤爪と手甲を引き抜くと、白く長い佐助の指が現れる。
疲労で重い腰を小十郎は上げると、縁側へと進み。
「甲斐にまでも話は出回っているのか」
「橋が決壊して、行き交いが絶たれているって商人が話していたからね。お疲れ様」
自分に近づく小十郎の顔を佐助は見上げる。
隈が薄らと眼の下に刷かれているのを見ると、佐助の眉根が潜まり表情が曇った。
「相当…疲れているようだね。顔色が悪い」
傍らに胡坐を掻く小十郎へと指を伸ばし、淡く指先で眼窩の縁へと触れる。
幾分熱を孕む眼の窪みの肌に、佐助の冷えた指先が心地よく、深い息を吐いて、小十郎は佐助の手を掴む。
眼を閉じ、佐助の掌へと唇を重ね、自分よりも低い佐助の体温を感じ入り
「…政宗様も今頃漸く仕事が片付いて一息吐いた処じゃねえかな」
唇を浮かせ呟きを佐助の手の中に落とし、瞼を引き上げる。
掌から伝わる呼気の動きに、佐助は擽ったそうに、微かに笑い。
「竜の旦那に真田の旦那の文を預けたら、見る見る内に顔色が変わったけどね」
今回の来訪の内容を告げると、小十郎は愉しげに眼を細める。
手首の温度は離しがたく、その侭佐助の細い手首から手を滑らせ指を緩く握りこむ。
「いい時期に差し入れを入れてくれたな。有り難え」
何か思う所があるのか、佐助は首を横に傾斜させ、
「『小十郎にも顔を見せていけ。文は明日に頼む』、とか言っていたけれど。どこまで知っているんだろうな」
文を渡した際の様子を思い出し、佐助が不可解な表情を顔に浮かばせると、軽く小十郎は肩を竦ませ
「さあな。何となく…じゃねえのか?あの方は子供の頃からそういう人の機微には割合と聡い方だ」
継承者として相応しくないという理由で狙われ続けた幼少期の事もあり、周囲の人間関係に対して敏感とも感じられる主の事だ。
佐助と会った翌日の己の変化からでも感づいてはいるだろう。
「旦那から話したって訳じゃないようだね」
小十郎の様子を眺めながら、予想の一つを佐助は口にし
「話しても話さなくとも、主に家来は事を及ぼさない、巻き込まない、が本分じゃねえか?」
「家来は主の為に何時でも命を捨てる覚悟でいるけれど、家来の私情に主を巻き込む等、本末転倒。
主は守るべきもので、家来が巻き込むべきものじゃない。
例え俺が居なくなっても、真田の旦那には生きていてほしい。
…右目の旦那はそれを解っているから俺としては一安心」
従者である互いの立ち位置は解っていた。
解っていれば、周囲を巻き込まないという線引きは出来る。
だが、共に在って安心するのは、線引きが出来るから、というよりも、互いの事情を汲んだ上で互いの持つものを理解できるという人となりの部分なのだろうというのは口には出さなかった。
共感と信頼とそして―「解る」という事。
言葉の代わりに、絡めた視線の合間に行き交う異なる色合いの二人の目が不意に同時に和らぐ。
「その武装を奥の水場で解いて来い。中の棚に洗った俺の着物があるからそれを使え」
絡めていた指を漸く惜しむように解き、縁側沿いにある水場を指し示し。
「いや、それ勿体無いから」
慌てて佐助が言うと
「その格好じゃ膝枕って訳にもいかねえだろうが」
「それを右目の旦那が御所望なら。ついでに、甘いものを少し持って来たから、冷やして出しますよ」
佐助の指が閃くと、枇杷が3つ指の合間に現れた。
「毒なんて仕込んでいないから安心して」
佐助が戯れを一つ口にすれば、小十郎は低い笑いを喉奥に燻らせて
「それで死ぬくらいなら、俺もその程度の男だったって事だ」
元より気にする筈も無いと、言葉の中に混ぜながら、「お邪魔しますよ」と下履きを脱ぎ、縁側から奥へと向かう佐助の姿を見送った。

畳に落ちる暖かな日差しの中に、いつの間にか眠っていたらしい。
気付いたのは髪の合間を滑る、指の感覚だった。
眼を開いていくと、顔の上には佐助の顔が見て取れた。
武装は解かれ、その身は小十郎が常日頃着ている朽葉色の長着に包まれている。
「起こしたかい?」
「ああ…眠っていたようだな。悪い…」
佐助の膝の上から頭をゆっくりと起こそうとするが、咎めるように額へとぺちりと乗せられた佐助の手が動きを止める。
「硬い男の膝でいいのなら、もう少し休むように。
もし布団が良いのなら、もう敷いてあるから俺が旦那を抱き上げて運ぶってのもありだね」
「…硬くもねえだろう。それに、俺を抱き上げて運ぶってのはどうなんだ?」
意味深に笑みを深める佐助の顔が見上げた小十郎の目に留まる。
「旦那くらいの体格なら軽く運べますが、試してみるかい?」
己よりも一回り程細い体だが、佐助が常日頃付けている武装の重みを考えると、軽く運べそうな感もし、小十郎は首を横に振り
「俺が寝入ったのなら、後は好きにしてくれていいがな。
テメェは…一体どれだけ…」
その身の内に何を刻んで生きてきたのだろうと、小十郎は思う。
伊達もお抱えの忍びはいるが、あくまで忍びとして使える人間を選び雇い入れた形だ。
だが、佐助は恐らく幼少時から戦略、諜報、殺しに関するあらゆる知識と技能を仕込まれているのだろうと予測している。
実際、佐助が小十郎の元を不意打ちめいた形で訪れるが、それをこちらの忍びが不審者として捕らえる、という事はなかった。
佐助が残していく極々僅かな痕跡から、漸く来たとこちらの忍びが解る程度らしいとは聞いている。
伊達の忍びの眼をいとも容易く誤魔化せるその技量。
途中で途切れた小十郎の言葉に、佐助は小さく笑い
「男前か、って?それとも、世話焼きかい?」
言葉尻を誤魔化すようにも、戯れるようにも、言葉を接いだ。
「世話焼き、だな。そっちにある枇杷、剥いてくれるんだろう?」
先程半身を起こそうとした時に、眼に映ったのは、枇杷を沈めた水桶と小皿。
手を拭う布までも用意してある。
小十郎を膝の上に乗せたまま、佐助は腕を伸ばし、枇杷を一つ摘むと、くるりと小器用に指先で枇杷の皮を剥く。
つるりとした橙色の果肉が現れると小十郎の口先へと運び。
「この侭食べて、種は手の中に」
「至れりつくせりだな」
「言っただろう?今日は旦那を甘やかしたい気分だって。―誰かの為に動いている誰かさんの為に」
民人の為に国を治める者が動くのは道理。
それでも、身を削り心を削る辛さは誰もが同じだろう。
低く落ちてくる佐助の声が柔らかくあやすように小十郎の鼓膜に広がる。
唇へと寄せられた果実は井戸水で冷やされ、瑞々しく甘い。
口を開き果肉に歯を立て、ゆっくりと食べ進めると、乾いた喉に甘みの深い果肉が滑り落ちる。
表面の滑らかな果実は滑りやすくもある筈だが、佐助の指は茶の種一色を残すまで、その実を落とす事は無かった。
最後の一口を食べ終わると、皮を寄せた器へと種を落とし
「もう一つ、食べるかい?」
顔色が若干良くなった小十郎を覗き込むと、小十郎は佐助の手首を掴む。
「甘い匂いがするな…」
枇杷は香りが強い果実ではないが、それでも微かに漂う匂いを嗅ぎながら、小十郎は佐助の指に唇を寄せる。
今は静止しているが、普段は細やかな動きを見せる人差し指の関節へと唇を重ねると、舌先を出し、透明な果汁を薄く帯びる佐助の肌を丁寧に舐める。
ざらついた舌の粘膜が指を辿り始めると、佐助の手が微かに緊張に強張った。
佐助の喉が微かに鳴り、肌の下の血流がざわつき、熱を呼び起こす。
小十郎は指先を銜え込むと爪の合間に舌を差し込み、軽く擽りながら、眼を引き上げ佐助を見る。
「…旦那…」
目尻が薄らと薄紅の色を帯び、息を呑んでいる佐助の様子を見ると、小十郎は佐助の指から唇を浮かせ
「どうした?何かを思い出したか?」
意味深な笑みを口元に、陰影として深めながら、佐助の手の甲へと唇を重ねる。
言葉を放つ度に、小十郎の熱い息が佐助の皮膚へと広がる。
薄らと熱の水が佐助の眼へと浮かび、揺れる。
情欲の点り始める佐助の表情を細めた視線の中に攫い、
「…お前の肌の上を滑る俺の唇とか、重ねた肌の熱とかか?」
僅かに変わる佐助を呼ぶ人称。
肌を馴染ませた上は、言葉でも又と馴染む事を求めるように。
微細な変化だが、気付いた佐助は、微かな笑みを唇に一度結び。
「片倉の旦那があの夜、どんな風に俺の身体を開いたか。
押し入った時の硬さとか、締め付けた時に中にあった角度とか熱も。
全部―覚えているからね」
小十郎の名を交えて呼びながら、情事を赤裸々に語る佐助の言葉は誘うように甘い。
「思い出すだけで良いのか?」
佐助の手を離すと、小十郎は腕を伸ばし、佐助の頬を手で包み込む。
頬に伝わる温度に心地よさ気に眼を細めながら、佐助は首を傾ける。
小十郎の手の甲に自分の掌を重ねようとしたが、未だ果汁の付いている指である事を思い出し、手桶を引き寄せると水の中に手を一つずつ入れて
「旦那の体調次第、かな。疲れている人を更に疲れさせてどうするのよ、って事」
ちゃぷりと手を泳がせると、小十郎に水が掛からないように、手拭いを引き寄せ、水気を拭う。
「お前が煽るから悪いんだろうが。自覚はねえのか?」
小十郎の指摘に佐助は惚けるように視線を横に流す
「無いって言ったら嘘になるかな。でも」
言葉を切ると、小十郎へと眇めた視線を送り
「片倉の旦那も悪い。俺が我慢しているのに、焦れさせるのはずるいと思うんだけど?」
拗ねるような表情に、小十郎は低い笑いを喉に揺らしながら、佐助の膝の上から半身を起こす。
佐助の細い腰へと腕を回し、ぐっと引き寄せる。
耳朶へと顔を寄せると
「我慢する必要はねえだろうが。抱かせろ―」
強請る言葉を低く一つ、佐助の耳孔へと響かせる。
腕の中の佐助の身体が僅かに震え、
「…真昼間からかい?明るい内の睦み合いは苦手なんだよな…」
障子戸から紙を透かせて差し込む光は未だ白い。
「全部が見えるからか?」
「そういう事。でも、旦那が全部見たいというのなら、お付き合いしますよ。俺だけじゃなくて、旦那も見せる事になるんだろうしね」
開き直った感のある佐助の言葉に、小十郎は愉しげに目線を細めると、
「互いに見られて困るようなモノなんて今更ねえだろう」
佐助の背を腕に渡したまま小十郎は立ち上がろうとする。
あわよくば、横抱きにしようと空の腕を伸ばしたところで、佐助の片手が小十郎の胸を抑え、抱き上げるのを止めた。
「今日は俺がご奉仕しますよ。旦那は横になって俺を感じてくれればいい」
密やかに声を佐助は向けると、小十郎の頬へと一度頬を摺り寄せ、腰を上げる。
共に立ち上がった小十郎の長着の合わせへと手を掛けると、手を滑らせ、着物を緩めながら、首を傾斜させ、軽く爪先立ちを行う。
佐助の白い瞼が眼窩を覆う頃には、小十郎の唇が佐助の唇を塞ぎ、後は衣擦れの音が、畳の上に落ちた。

布団の伸べられている奥の間までの畳の上には、二人の衣服が転々と散らばっていた―


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